今日はリスボン市内を一日堪能する予定。今日の様子いかんによって明日シントラやロカ岬に行くかどうか決めるつもりだ。まあ、「おまけ」に書いたとおりシントラに行く気持ちは自分の中で殆どなくなっていたのだけど。

今日は土曜日、ということは当然ながら明日は日曜日である。ヨーロッパ旅行経験のある人ならおわかりと思うが、日曜日の街というのは観光地を除きひどくさみしいものなのである。殆どのお店が閉まり、地元の人たちは家族と過ごすため家にこもり、町は閑散とし行き場を失った観光客だけがふらりふらり・・・という状態になる。明日のことは明日書くが、ここリスボンも例外ではなかった。

店の大半がclosedとなってしまうので、お土産を買うなら今日しかない。今まで行く先々で適当にお土産を買っていたが(ニワトリグッズとかジンジャとか)、ほとんどが自分へのお土産だったため、義理土産を買うのは今日しかないのだ。

別にお勧めするわけではないが、ある程度お店を比較したうえで私が買ったのは以下のもの。ちなみに電車に乗って少し郊外に行くと大型ショッピングモールがあるらしいが、結局面倒になり自分の宿周辺のお店で購入した。なので以下に紹介したお店はすべてロシオまたはフィゲイラ広場から徒歩5分以内のお店ばかりです。お土産屋さんの元値は高いが交渉次第で多少安くなるようだ。たくさん買う人には良いかもしれないが私は面倒くさいのでやめておいた(面倒くさがってばっかりだな)。ちなみにスーパーやポルックスは日曜日閉まってしまうが、

◆POLLUXにてポルトガル風雑貨購入
お土産屋の交渉結果は知らないが、雑貨ならここが一番安かった気がする。

◆マヌエルタヴァーレスにてポルトワイン小瓶大量購入
1.5€~程度でポルトワインの小瓶が購入できる。購入したワインは一本一本紙でつつんでくれる。あまりに大量の小瓶を購入したので店の人がちょっと大変そうだった。ちなみにちゃんと試飲もさせてくれる。
ポルトガル風お菓子やパテ類(これは持込みできないのかしら)も売っているのでここで購入するのも良いでしょう。

◆スーパーで買い物
メルカードダフィゲイラというフィゲイラ広場に面した小さなスーパーと、そのあと発見したロシオ広場至近の大きめなスーパー(上はアメリカーノというホテル)にてお菓子やワインなどを購入。ものによってメルカードの方が安かったり、その逆もあったりしたのでその辺はご自身で調査してみてください。

さて、午前中いっぱいお土産購入に奔走したので午後はリスボン市内をうろうろ&念願の市電に乗りまくることにします。
まだ旅行記は途中だけど、おまけを少々。

今回、初一人旅をするにあたって、ネットに大変にお世話になりました。

現地在住の人やポルトガル旅行経験者にアドバイスをもらい、本当に助かりました。今までネットでは努めて傍観者でいることを選んでいて、そうでない人を冷めた目で見ることが多かったけれど、今回のことで反省しました。これからも無意味な書き込みをするつもりはないけど、人の旅行記とか旅行掲示板とかに本当に助けてもらったので、ポルトガル旅行記だけはいつもと違う、これからポルトガルを旅行する人が読んで少しでも参考になるものにしたいと思いました。通常のブログは誰かに向けて何かと書くわけではなく、自分の独り言兼備忘録という位置づけなのです。まあ文章の癖とか、もともとの根暗さ、そして写真をUpする技術の無さゆえにそこまで役にたつ旅行記にはならないけど、一応そういう心づもりで書いているわけです。

実は旅行にあたって親切にアドバイスをもらって大変有難かったものの、一部の情報は正直???と思う部分がありまして。いや、本当に感謝しているんですけど、ネット上の大多数の意見ばかりが正しいわけではなく、そう思わない人もいるということも、これから旅行する人にとって知っておいて損はないと思うのであえて書きます。

①リスボンの治安
近年かなり悪くなっていると脅され相当ビビっていったが全くそんなことはありませんでした。結果オーライと言われればそれまでだけど、鞄の口をあけっぱなしでボケっとしていたり、真夜中に一人で人気のない場所をふらふらしたりしなければ女性一人でも何ら心配ないと思います。前に書いたようなスキだらけの行動をすれば東京にいたって犯罪被害にあう可能性は高いし。気をつけるに越したことはないけどビビる必要は全くないでしょう。前にも書いたけど東京の繁華街や、繁華街じゃないけど東京の端っこにあるうちの地元の方がよっぽど怖いです。

②観光地としてのリスボン
リスボンの見どころが多いという情報を聞き、ポルトを一泊にしリスボンを三泊と長めにとりました。が、正直これは失敗だったと思います。
ポルトとリスボンを比較すると、個人的には街並みも雰囲気もホテルのCPも物価もポルトの圧勝でした。見どころ=名所、という意味ではリスボンの方が色々あるのかもしれないけど、街をそぞろ歩きするのが何より好きな私には合わない街でした。まあこれは個人的な好みもあると思いますけど。
リスボンは首都だけあって都会だなという感じがしました。もちろんロンドンやパリや他欧州諸国の首都と比べれば十分にのんびりして味がありますが。なんていうのかな、都会の田舎というか田舎の都会というか、中途半端な感じがしました。わたしはもっとこちゃこちゃした街の方が好きなので正直リスボン滞在はもう一泊減らせば良かったと着いた早々後悔し、その印象は最後まで変わることはありませんでした。ポルトガルではポルト、すこーしだけコインブラ、ナザレ、オビドス、リスボンを見ましたが、他の町は甲乙つけがたく是非また行きたい町であるのに対し、リスボンはもういいかなーというところです。
ちなみにリスボン一押しの皆さんからシントラ観光を強く勧められており、行くつもりでいたのですが、実際にリスボン到着してみて、あの街を推す皆さんとは嗜好が合わなさそうなのでシントラ観光は中止しました。失礼ながら他の人の旅行記やガイドブックを見ても城も町も全然惹かれないので・・・あれらの写真を見て「素敵だな」と思う人なら行ってもいいかもしれません。
あ、リスボンの文句みたいになっちゃいましたけど、悪いところではないです。旅行記本編にも書いたけどとっても親切な人もいたし、都会だけあって夜遅くまで活気があります。ただ他の町が素晴らしすぎたのと、私の嗜好に合わないというだけですので、これも一つの情報として読み流してもらえればと思います。

③リスボンでの移動手段
これは治安面の話とも関係ありますが、バックパックを背負って地下鉄に乗るのは危険だというアドバイスをもらっていたのであえてタクシーを使いましたが、おそらく全然問題ないでしょう。バックパックを背負っているとお金をたんまりもった旅行者だと思われスリに狙われる、ということでしたが、電車の駅を指折り数えて乗っている東洋人が旅行者でない可能性はとてつもなく低く、バックパックを背負っていようがいまいが、スリの標的になることには変わりないと思います。なのでバックパック(スーツケース)を持っているから地下鉄や公共交通機関に乗らない方が良い、という情報は私にとって無意味な気がしました。まあ混雑した車内で大きな荷物は嫌がられる可能性大なので、そういう点ではバックパックをしょっての地下鉄&バスはやめて正解、かもしれません。
RE社バスでオビドスより1時間と少し、リスボンに到着した。どうもカンポグランデという駅のようだ。近代的なビル、高速道路、広い道路にたくさんの車・・・都会だ。日本では都会が好きなのだが(というか地元東京を愛しているのです)、あまり海外の都会が好きでない私は早速しょんぼり。Mくんからの「もっとナザレにいたらいいのに・・・」という何とも嬉しい言葉をふりきって、後ろ髪ひかれつつ無理やり来たリスボンがいまいちだとは。。。いや、旧市街に行けば全然印象が違うかもしれぬと、とりあえず宿をとっている旧市街(バイシャ地区)へ向かうことに。

バックパックを背負っての地下鉄は危険という事前情報を信じ(後述しますがそんなことは無いと思います)タクシー乗り場を聞くべく、その辺のお兄さんを捕まえて「バイシャに行きたいのです。タクシー乗り場はどこですか」と聞くと、「地下鉄で行った方が安いよ。地下鉄はここをこー行ってあー行けば乗れるよ」と地下鉄乗り場を教えてくれてしまった。リスボンの治安に対し過剰におびえていた私はどうしてもタクシーに乗らねばならぬと思いこみ、自力でタクシー乗り場へ移動(タクシーの乗り場は地下鉄の駅の手前にありました)。途中、地下鉄の駅を教えてくれたお兄さんとすれ違い、「地下鉄乗らないの?あっちだけど・・・」と言われたので、「乗り方が難しいし、荷物が重くて大変だから・・・えへ」と誤魔化したのだった。

タクシーで走る街並みも都会・・・急速に萎える気持ち。ロシオ広場に到着、旧市街は近代的な町並みよりは良いけど、何か規模がでかい。ううう・・・後悔の嵐。

まあ後悔していても仕方ないので宿へ。このポルトガル旅行で一番高価な宿なのです。というのもリスボンの治安に過剰におびえていた私は中心地も中心地、銀座でいえばみゆき通り、渋谷で言えば109、横浜で言えばランドマークのような、とにかく観光地ど真ん中且つ治安の悪くない場所(109は治安が良いとは言えませんが)を選んだため、1泊45€(6000円強)もする宿となってしまったのです。この宿については後述しますが、まあひどいもんでした。本当に狭い、暑い、風呂・トイレが汚い、エアコンがない、扇風機が壊れている・・・などなど。値段と部屋が見合ってません。これもあってリスボンの印象がますます悪くなってしまったのかも。部屋を見てかなりテンションが下がってしまったけれど、長時間あの部屋にいるのはもっとしょうがないと早速観光に繰り出します。とりあえず近くにあるサンタジュスタのエレベーターにでも昇ろうとてくてく歩きます。歩きながらもやっぱり街並みが好きになくて、どんどんテンションが落ちていく。道を聞くのも人が多すぎて聞きにくいし、勇気をだして聞いても「私もツーリストだから」という答えがかえってきたりして、今までの町とは違うなあと何だかますますリスボンの印象が悪くなっていく。
どんどん暗くなっていくし、雰囲気も微妙になってきたので(後から分かったけれど間違ってバイロアルトというひとりで夜歩かない方が良いという地域をめちゃめちゃ歩きまくっていた)いたしかたなく一人の女性に声をかける。彼女はフェルナンド?と言い、英語がほとんど分からないようだった(イエス、ノーは分かる)。指さし会話調を駆使してサンタジュスタのエレベーターに行きたい旨伝えると、「そこは遠いわ!」と言ってしばし無言。たぶん遠いから説明できないのだろう。他の人にあたるか、と思っていた矢先に「一緒に行きましょう!」とありがたい申し出。そこから20分以上歩いただろうか。彼女は途中途中にあるリスボンの名所や駅を教えながら歩いてくれた。彼女がいた地点からだいぶ離れてしまったので「随分離れてしまったけれどあなたは大丈夫ですか?」と聞くと、「ノープロブレムよ」とにこにこ。「あなたはムイントシンパティコ(とても親切)ですね」と言ったら、とっても喜んでくれた。無事サンタジュスタエレベーターに着くと、最後にハグ&キスをして別れた。リスボンを嫌いになりかけていた私にとって彼女と出会えたことはすごくラッキーだった。リスボンだって素敵な街ではないか。楽しまなくちゃ。

ちなみにサンタジュスタノエレベーターはホテルから数百メートルの距離だった。こんな至近距離を移動するのに迷うとは・・・。近場をうろうろしているうちに夜もふけてきたので、とりあえずまだ食べていない料理でどうしても食べたかった魚介のリゾットをここで食べることにする。じつはナザレで食べようと思っていたのだが思いがけずMくんとディナーを共にすることになったため食べることができなかったのだ。

ロシオ広場とフィゲイラ広場に面しているいかにも観光客を相手にしていそうなお店に適当に入る。メイアドース(半分)でセンコアントロ(コリアンダー抜き)が出来るというのでお願いした。確か13.5ユーロだった。ムール貝やエビが大量に入っていてなかなか豪華である。が、カニカマがもっと大量に入っていてちょっと邪魔だった。味はまあまあかな。もう少しサラサラしている方が私は好きだなー。半分の量なのにかなり多くて食べきれず残してしまった。こういう時に一人旅は不便だなあと思う。

夜も遅いので宿に帰って就寝。

明日はリスボン二日目、実質最終日となる。帰りたくないなあ。



本日はナザレに移動する日。
今日も早起きしたので、最後にポルトをふらふらしてから出かけることにする。

外国の市場が大好きな綿素材はボリャオン市場を目指すことにする。
ここはポルトガルに行きたいと強く思うようになったきっかけのポルトガル旅行番組(エプソンプレゼンツの高橋マリコと写真家が写真を撮りながら旅をする番組)でも紹介されていた市場なのだ。

一階は魚、肉、花屋(なぜか造花のお店多し)に香辛料のお店、それから土産物店がメインで、その上のフロアに八百屋がある構成になっている。
朝8時をまわっているのに、お店は半分くらいしか開いていない。ちょっと早すぎたかな。
ちょっとがっかりしながら八百屋フロアをぶらぶらしていると、テレビで見たあのおばさんを見つけた。高橋マリコちゃんにハイテンションで絡んでいたあのおばさんに間違いない。すぐそばにはにかみやの旦那さんもいる。

名所を見たような、有名人に会ったような、何とも言えない気持ちだ。ミーハー度も急上昇し、おばさん話しかけてみた。

「あなたを日本のTVショウで見たのです!会えて嬉しいです!」と何度も申し出るも、まったく通じない。記念に写真をとっても良いかと聞くと快諾してくれたのでバチバチと撮影する。

おばさんはとってもフレンドリーだけど、あのテレビの時よりずっとおとなしい。そのかわりテレビではとってもおとなしかった旦那さんがかなり元気。
一緒に写真に写ろうと誘ってくれて(私のカメラなんだけど)、私の肩を抱いて「イエーイ」的なポーズをとってまず一枚。同じポーズを私にもするように指示してもう一枚。近年まれに見るものすごいノリノリだ。市場で働く元気なおばさんと恥ずかしがり屋のいい感じのおじさんというのはTVショウの演出だったのだろうか。だって違い過ぎるもの。特におじさん。

そうこうしているうちに周りの八百屋さん連中も集まって来てにわかアイドル撮影大会のようになる。こんなに人気者になったのは人生初じゃなかろうか。

そんなこんなですっかり気分を良くして市場を後にし、バスターミナルへ向かう。

ああ、もっとポルトにいたかったなー。
ポルトでお世話になったホテルResidencial Escondidinhoについての情報を少々。
基本的にリスボンよりポルトの方が宿泊代が安いようで、値段の割に広くて使い勝手の良いホテルでした。

◆booking.comで予約
◆30ユーロ/一泊(バス、トイレ付。朝食込)
◆ポルトのにぎやかな通り(サンタカタリーナ通り)や老舗カフェマジェスティックに至近。(徒歩1分程度)
◆部屋は広く、清潔。テレビ、電話もあり。
◆周りの治安は良いが、夜暗くなってからの人通りは少ないので注意。
◆劇場の隣にあり、うるさい時もあるらしいが私が宿泊した時は静かで快適。
◆ドアの鍵がレトロでかわいいのだが、しめ方にコツがいる。
◆朝食は質素(パン、ハム、シリアル、ジュース、果物類)だけど、まあこんなものかなという感じ。
◆サンベント駅まで距離的には遠くはないが、どのルートを通っても坂がキツイ。
◆ドウロ川沿いに出るのは10分もかからない(ということに最後に気づいた)。
◆フロントは交代制でおじさん、お姉さん、おばさんの場合があるが(もっといるのかもしれないけど)みんな親切で感じが良い。
ポルトガル旅行記◆ワイナリーとクルーズ@ポルト(7月8日)
ポルト後半です。

ポルトといえばポートワインの産地である。ドウロ川の対岸にはワイナリーがたくさん立ち並んでいる。

ポルトの景色を対岸から見るために橋を渡ったのであるが、せっかくなのでワイナリー見学をしようと飛び込みで行ってみた。ワイナリー見学&試飲&小一時間のドウロ川クルーズで10€。たぶんどこのワイナリーでもどこの船でも同じ値段のような気がする。なお、ポルト側からもクルーズ船に乗ることができるが、ワイナリー見学&試飲は含まれていないようだったので、面倒でも河をわたってからチケットを購入するのをおすすめする。

私はOFFLEYというワイナリーを見学。いくつか語学が選べるのだが、私は有無を言わさず英語のコース。ちなみに日本語コースはないと思う。一緒に見学したのはアメリカン中年3人組、フレンチカップルであった。正直ワインの製造工程なんて日本語で聞いても分からないのに、英語だとますますもって分からない。たぶん全体の1/3も分かっていなかったのではないかと思うが、たまにもっともらしくうなずいたりして誤魔化した。赤と白を一杯ずつ試飲させてくれ、少し安くワインを購入できる。非常に甘いワインで美味しいのだが、まだ旅の序盤であり今後移動を重ねる身としてはここで重いもの、しかも割れ物を購入するわけにはいかないので涙を飲んで我慢した。

ツアーに同行したメンバーと少し談笑していると、日本語が聞こえてきた。40代くらいのご夫婦が日本語を喋っている。おお、日本語!日本人!それだけでうれしくなり、ふらふらと近づいて行った。

ご夫婦は栃木からいらしていて、ポルトは2回目、現在3か月ほどヨーロッパを旅しており、もうすぐスペインに戻るそうだ。束の間のことだったが日本語で喋れてうれしかった。

ドウロ川クルーズ船に乗る時間が迫っていたのでお二人と別れ、船に乗り込む。景色がきれいで良いのだが、いかんせん寒い。風が容赦なく吹き付けるため、体感温度はかなり低いのだ。しかも景色のハイライトはポルトの街並みで、それを超えるとどうということもないので近くにいたスペイン人家族のやり取りを微笑ましく見ていた。スパニッシュベイビーが最強に可愛いので、普段なら絶対にしないがちょっと手を振ってみたりした。旅は人を大胆にするのだ。しょぼい大胆さということなかれ。子供嫌い且つシャイな私が赤ちゃんに手をふるなんて日本では考えられないことなのですよ。

そんなこんなでクルーズを楽しんで船を降りると19時半。夕暮れのポルトの景色を見たくて21時までねばったが、まだ日が沈む気配はない。実はワイナリーのある地区とポルト中心部を結ぶ有名な橋は治安が良くないことで有名なのだ(地球の歩き方談)。さすがに日が暮れるまでここにいるのは危険と判断し、泣く泣く宿に戻る。

まだ21時だというのに町の中心には人通りが少なく、誰もいないことがかえって怖かった。ホテルに戻ってしばらくするとようやく日が暮れてきた。時間は22時。粘っても無理だったかな。

明日はバスでナザレに移動。初バスだ。
ポルトガル旅行記◆ポルトをふらふら(7月8日)
電車を降りるとサンベント駅の素敵なアズレージョがお出迎え。おお、テレビや雑誌で見たとおりだ!!と興奮し、早速バチバチと写真を撮りまくるワタクシ。

駅舎を出るとすっごいいい天気!(おかげで異常なほど日焼けしてしまった)

とりあえず重い荷物をどうにかすべくホテルへ向かう。しかし道が全然わからん・・・必殺「人に聞く」を繰り出したが、英語が全然通じない。すると見知らぬおばさん、お姉さんがわらわらと寄って来てあーだこーだと話し合いを始め、若い女の人が英語で私に道を教えてくれた。「みんなが寄って来て助けてくれる」というのは本当だったのだ。なんて良い国なのだ、ポルトガルよ。

しかしポルトの坂はすさまじい・・・道を間違えるとシャレにならないので数分ごとに必殺技(人に聞く)を繰り出しながらちょっとずつ進んでいく。ひーふー言いながら進んでいくと見覚えのある建物が。。。目当てのホテルだ!

チェックインの時間前だったので荷物だけ置かせてもらい、早速散策へ。

グレゴリスの塔、カテドラル、ドウロ川沿いを散歩、路地を散歩、美しい本屋さん等々ステレオタイプのポルト散策を楽しむ。

魔女の宅急便のモデルとなった町の一つと言われているだけあって、街は趣があり美しい。その噂の真偽のほどは不明だが、いかにもそこからあのクロネコが現れそうである。

治安は良いし、人も親切、天気も底抜けに良くて最高だが、ランチを一人でしている時突然さみしさが・・・ポツンとひとりでいる感覚。知っている人がどこにもいない。日本人もいない。ふとした時にさみしくなるのが一人旅というものらしいが、これがそうなのだろうか。

私はドウロ川沿いの景色がたいそう気に入ったので、路地をぶらぶらして川沿いを歩くというのをずっと続けていたところ、向こうから自分と似た容姿の女の子が!舞い上がって「こんにちは!」と話しかけたところ、彼女はコリアンであった・・・お互い同じアジア人に会えた喜びをわかちあい、一緒に写真などを撮った。彼女は英語がとても堪能で、私は自分の話したいことが全然話せなくてもどかしく情けなかった。コイツなんでこんな英語力でひとりで旅行してんだろう?と思われた気がする。被害妄想だと思うけど。彼女と見た目は似ているけど(いや、実際は全然似ていないけど、人種的に)語学力もノリも全然違って(写真を撮るとき、ぐいっと肩を組んできた)、大陸の人だなあと妙に感心してしまった。

彼女は翌日ポルトから出発するバスターミナルでもう一度偶然出会うのであるが、その時も彼女は国際人らしく「haveanicetrip!」とさわやかに告げて去って行った。一方の私はというと、そういうことを言うのが何だか気恥かしくて、でも何か言わなきゃと焦り、グットラックとかシーユーとか、そんな感じのセリフをごにょごにょと彼女に言うのであった。ああ、情けない。
またもや日が経ってしまったが・・・ポルトガル旅行記の続きです。

BAのディレイに翻弄され、22:30到着予定が24:30頃の到着となってしまった。しかも空港内の移動や入国審査なんかで空港を出られたのはもう1時近い。(余談だが荷物を預けなくて本当に良かった。荷物が出てくるのを待っていたら丑三つ時になってしまったに違いない。)

22:30だって十分遅いんだけど、24:30だとまた全然違う。日本の自分の駅だって1時なんてちょっと怖いのに、ましてや外国、しかも初めての国、しかも一人。タクシーだって密室だしいくらポルトガルの治安が良いと言ったってやっぱり怖い。ぼられたという情報もちょこちょこ目にするし。

空港~市内ホテルまでの値段は、普通のタクシーで行けば7~10ユーロ、ツーリストインフォメーションで売られているバウチャーを購入すれば深夜料金でも一律18.5ユーロらしい。(09地球の歩き方による)

普通の倍近くの値段になるのでもともとはバウチャーを購入する気はなかったのだが、到着が遅くなってしまったため安心料として1000円を多く支払い、バウチャーを購入することにし、一路インフォメーションを目指す。

が、到着が遅過ぎてツーリストインフォメーションが開いてない・・・。

仕方がないのでほぼ誰もいない、そして電気もついていない階段を重い荷物を抱えて上り、出発ロビーへ上がる。(到着ロビーにはカモを待つ悪徳タクシーがいるという専らの噂なので、出発ロビーから乗る方が少しは安心なのです)

外に出ると客待ちタクシーがたくさんいて、運転手のおじさんたちが談笑している。

一番近くにいるタクシーは車体もキレイだし、なかなか良いぞ。。。と思って近づいていくと、一番遠く(おそらく客待ちタクシーの先頭)のおじさんが手を振っている。

うっ・・・顔が濃いぃ。しかも車体が古いし傷だらけ(泣)。

予約しておいたホテルResidencial Mar dos Açoresの名前を告げるもどうもわからない様子。
事前に用意しておいた「ホテルの名前」「住所」「電話番号」「グーグル地図」「**に近いです(という自分なりにポルトガル語で書いたメモ)」を見せるものの、やっぱりわからなそうなおじさん。
まわりの運転手さんがあつまってきてあーだこーだと教えている。あのー、知っている人いるならその人に乗せていってもらいたいんですけど。

結局その濃いいおじさんの車に乗るように誘導され、トランクに荷物を積むように言われるがかたくなに断る(トランクに荷物を入れると1.6ユーロ別料金がかかる)。気のせいかおじさんたちに失笑された気がするが、気のせいということにしておこう。

メーターを倒したことを確認し、外を見たり地図を見たり、たまにメータをのぞきこんだり「見ているぞ」的なオーラを出しまくっているうちにあっという間についた。

どうやら小さなカーナビ的なものを使っていたようでスムースについた。メーターも6.3ユーロ。相場より安い。ごまかすことなくおつりもくれた。
ムイントオブリガーダ(どうもありがとう)と伝えると、はにかんだように笑った。結果的にすごくいい人だった。疑ってごめんなさい。

無事チェックインし、就寝。
うーん、ポルトガル入国しないまま旅行記が頓挫している。本日9月14日、あ。日付変わってるから15日。ぼちぼち更新しないとね。

さて今回の旅の山場、ヒースロー空港での乗換でございます。

乗換といえば数年前のプーケット⇔バンコクのトランジット不備がいまだにトラウマになっている。
ある程度時間に余裕さえあれば&職員に聞きまくれば適当英会話でも何とかなる、と根拠のない自信に満ち満ちていた自分が見事打ち砕かれ、二十歳をとうに過ぎて社会人二年目の立派なOLさんだというのに公衆の面前で大泣きをするという失態を晒した。大騒ぎした効果があったのかなかったのかは定かでないが、結局出発5分前に搭乗でき、事無きを得たのではあるが・・・。あの時はタイ国際空港が新しくなりたてでもう全体的に混乱しまくりだったせいなのだろうけど、あれから乗り換えが怖くて仕方ない。

そんなトラウマを抱えたところに、今回の乗り換えは悪名高きヒースロー。その巨大さゆえ、そしてテロ対策の厳格なセキュリティチェックゆえ、乗換が大変との専らの評判である。なお、空港の巨大さゆえにロスバゲも多いそうな。

今回はT5ターミナル→T3ターミナルに移動しての乗換え。
びびりまくり日本でネットで調べ倒したところ、「フライトコネクション」サイン通りに進めばOKとい事前情報を入手しており、そのとおりに進む。

結論から言うと、T5→(電車で数分)→ALLターミナルに行ける建物→(シャトルバス10分位)→T3という流れで移動し、荷物チェックを受けたあと出発ロビー、ゲートへ向かうことになる。荷物チェックはすいていた方だと思うが、T5ターミナルを出てから少なくとも1時間はかかったように思う。(その後のチェックイン手続がなかなかノロいので乗り継ぎには2hは見た方が安心かもしれない。)

途中、ちょっと不安になりBAの職員さん(CAのお兄さん)にチケットを見せながら尋ねると、ゆっくりとした聞き取りやすい英語で説明してくれたうえに、シャトルバス乗り場まで一緒に来てくれたりとなかなか親切であった。

ターミナル移動が無事に済んだところで、ホッとしつつチェックインカウンターへ向かう。途中のGate案内を見ると19:50出発にも関わらずGateOpenが20:29となっている。経験則によれば遅くとも出発30~45分前にゲートは開くはずなのでこれはどういうことかと嫌な予感を覚えつつ先に進む。どうでもよいけど、なぜ20:29なのか。何だか妙に細かくないか。

オンラインチェックイン済なので並ぶ必要はないはずだが、マイレージ加算手続きがされているかどうか知りたかったので一応列に並ぶ。途中係員の「あなたはオンラインチェックイン済なので並ばなくてヨシ!」という指示のもと、半ば強制的に列からはずされる。しかしながらマイレージの加算とともにそれ以上にディレイに関する情報をゲットしたい私は迷った末に並びなおすこととし、結局チェックインカウンターにたどり着けたのは約45分後のことだった。

マイルチャージのついでに「まさかと思うけど、遅れてるなんてことは無いですよね」とBAの姉ちゃんに聞いたところ、「ボードを見て確認しろ」の一点張り。ボードは見たんだよ、このボケが!と言い放つ・・・ことが気弱な私に出来るわけもなく、心の中で罵った。

不親切なBA女により機嫌を損ね、むすっとして歩いていると「MayIhelpyou、マダーム?」と声をかけてくるヒースロー職員らしき黒人ナイスガイ。リスボンに行きたいと告げると、彼は「Oh!Delayed!!Gateは20:30にOpenなので、それまでYouはshoppingを楽しんだり、coffeeを飲んだりしてておくれ。」と言ってきた。(ちなみにその後何度も彼と遭遇し、別の人に案内しているのも盗み聞きしたが、どうも彼のセリフは定型のようで老いも若きも男も女も白人も黒人も皆にショッピング&喫茶を誘導していたようだった。)

前日あまり寝られなかったせいもあり、疲れと眠気がおしよせてくる。しかしこの場で寝るのは危険なので(防犯および何より寝過して乗り遅れたら死ぬ)免税店などを見てまわる。

STOPsleeping作戦のため、日本人を見つけて「やぁー参っちゃいましたよ」的なことを言い合おうと目論むが、このターミナルには日本人が全然いない。日本人かしら・・・とふらりと近づくと大抵チャイニーズだ。

機内食をもりもり食べたため、腹などビタ一文減っていないが寝ない為に何かを食べようと飲食店をうろつく。しかしここはイギリス、しかも空港。ものが高い。何の変哲もないベーグルサンドが800円以上するし、普通の板チョコが500円もする。大sale的に叩き売られている板チョコも一ポンドなので160円くらいか。今回はただでさえ予算オーバー気味(シングルのホテル代が高いので)なので、これ以上無駄金を使うわけにはいかぬ。成田で購入したサッポロポテトをヒースローで一人かみしめる。ううう・・・うまい。

食べ終わってもまだ暇、しかも眠ってはいけないのでコーヒーを買うためにスタバへ向かう。イギリスでアメリカンの味を求める女。我ながら意味不明だが予算上スタバが一番マシだったのだ。
ちなみにトールラテが1.99ポンド(約320円)なので日本より若干安いだろうか。ちなみに味が地味に違う。日本のカフェラテが茶色よりのベージュだとすると、イギリスのラテはグレーベージュの味わいなのだ。伝わっただろうか。

スタバでラテを購入し、体力も限界に近づいてきたので日記を書いて時間を潰すことにする。テーブルのある席は満席なので空港のイスにラテを置きつつ、日記を書く。上に書いたこと+BAへの呪の言葉を書きつづっていた。怒りで力がこもってしまったのか、コーヒーを派手にこぼしてしまい、あろうことが向かいに座っていたジローラモ風なイタリアン伊達男の靴にコーヒーをぶっかけてしまった。

はわはわしながら「ソーリー!ソーリー!」と連呼する私に、ニコヤカに「気にすることはないさ」と答える彼。さすが伊達。そのうえ、どこからかフリーペーパーを持って来てびしょびしょになった席の始末をしてくれた。おお・・・かっこええ。

日記を書いて時間を潰すこと一時間半。時刻20:15(日本時間2:15)だが、まだゲートは開いていないようだ。疲れてイライラしているのもあるが、到着が夜中になると「空港からホテルに行く」という二つ目の山場の難易度が飛躍的に増すため、一刻も早くリスボンに行きたく、イライライライラしているわけである。

でもあと15分、辛抱するのよ!!と自分に言い聞かせて、ふと顔をあげると掲示板の表示が変わっている。いよいよGate案内かなとウキウキした気分で見ると時間表示が21:12に変わっている。え?どういうこと?さらに1時間またせる気?がっくりとうなだれ、本格的にBAを呪い始める。溜息をつきながらもう一度掲示板をチラ見すると「19:50 LISBOA Gate24 Boading」と表示が変わっている。ボーディング?????ディレイは?????と軽くパニックになりながらも慌ててgateへ向かう。特に放送もなかったようだが・・・恐るべしヒースロー。もし21:12の表示を信じて眠りこけていたら、タイ乗換の時以上に泣きじゃくる羽目になったことは間違いない。

おかげで眠気もぶっとび、さくさくと移動。gate24に着くと、白人さん8割に黒人さん2割がすでに待機。日本人はおろかアジアンは私だけ。さすが最西端ポルトガル、日出づる国である東の最果てから遠い国だけあるわ。まあ、まだイギリスなんですが。

搭乗が開始になったのは21時。まだロンドンの空は明るいです。takeoffが22時ちょっと過ぎ。さすがに暗くなってました。超寒い機内で震えながらあと少しで到着するリスボンに向けてやっとひとごこちつきました。

家を出てから24時間以上・・・24全シリーズを持ってくれば良かった。しかしよく頑張ったね、自分。

次回からやっとポルトガルの話です。
今回は英国航空ことブリティッシュエアウェイズにてロンドン経由リスボンに向かう。

BAにした理由はただ一つ、安かったからに他ならない。
BAはとにかく評判が悪い。
遅延、荷物紛失、ヒースローの乗り換えが大変、CAの態度悪い等等。
一番最後のは正直どうでも良いけど、前の三つは私にとって大問題だ。

BAについての所感を・・・
乗り心地や機内食、思ったより悪くないです。
オンラインチェックインで席が比較的自由に選べるし
自分で印刷できるeチケットは紛失に備えて何枚も印刷できて
気が楽(5枚くらいコピーしてあちこちにセットした)。
格安アジア系キャリアで鍛えた貧乏旅行者にはむしろ快適。
機内食にいたっては意外とおいしいともいえた。
CAも別に不親切じゃないし。まあ特段フレンドリーじゃないが。
飲み物や食べ物(お菓子とかカップラーメン)が
セルフサービス用に置いてあって、
飲み物をもらうたびにCAさんを呼び出すのが苦手な私には
非常にありがたい。
まあ当たり前だけどパーソナルテレビもあるし
日本語映画のバリエーションは少ないけど、
自分の好きなタイミングで見られるタイプだったので
これはとっても嬉しかった。
荷物もなくならなかったし。
行きは機内持込み、帰りは預けて帰ったけど無事日本に一緒に帰ってこれました。
成田空港で相当待って、とうとうやられたかとおもったけど、大丈夫でした。
なのでロスバケも運次第でしょう。
余談ですがBA限らずワンワールド系の傾向になりますが
格安航空券のマイレージ加算率はひどいもんです。

さて割と褒めたところで落とします。
噂通りやってくれました、遅延。
成田で一時間半。ヒースローで二時間半のディレイ。
成田はまだいいものの(ただし機内預けのため荷物をもったままフラフラするのがキツイ&今回は安宿メインなので免税店ショッピングも楽しめない)、
ヒースローが本当にきつかった。

ヒースローでの乗り換え顛末はかなり長くなるのでまた今度。
本日よりポルトガル旅行に出発。

初めての一人旅に不安で出発数日前から情緒不安定ヤロウになり、
胃痛に悩まされる。成田に向かう京成線の中でも号泣する異常者と化す。
帰国後の今思うとバカらしいけど。

出発当日の朝、家を出た瞬間に目に飛び込んできたのがクロネコの交尾。
一人旅デビュー第一歩の光景としてまったくふさわしくないので
邪魔をしてやった。

地元の駅まで歩くうち、ふと嫌な予感を覚えて迷惑もかえりみず、
道のど真ん中で荷ほどき。案の定パンツ(ズボン)を忘れている。

現地では行きにはいているレギンスなるスパッツと
今回入れ忘れたパンツを交互に履いて過ごす予定だったのだ。
あやうくTシャツ+スパッツのレスラースタイルで
憧れのポルトガルの日々を過ごす羽目になるところだった。
危険危険。

数日前からぐずぐずと泣き、
前日には物を食べれなくなるほど追い込まれ(弱い)、
前述の通り京成線で号泣というみっともない姿を晒したものの、
いざ成田空港に着くと妙に落ち着いてむしろちょっとウキウキしてきた。

いつもの旅行の楽しさに加えて
小学校1年生の時、京都のおばあちゃん家まで
一人で行った時のような気分。
おらワクワクしてきたぞ!

さてこれからBAにてロンドン経由ポルトガルの長旅が始まるわけですが、
それはまた別の話。
約一週間前のことになるが、ポルトガル行きの飛行機航空券(eチケット)&日程表が送られてきた。うひょーいよいよですな、などとテンションが上がりつつももう引き返せないという不安もちょっと。何だか奇跡的なタイミングで豚インフルのヤツもフェーズ6になってるし。ohパンデミック!

ちなみに飛行機はロスバゲ率ワースト1のBA(英国航空)。ヒースロー空港も巨大過ぎ&利用者多すぎで乗継がなかなか大変だとか。うーん、乗り換えではバンコクの空港でかなり痛い目に合っているからなー・・・いい大人なのに泣いてしまいました。だってみんな適当過ぎるんだもん。泣いたらどうにかなりました。でもイギリス人はクールそうだから、泣いてもなんともならなそうなので、とりあえずヒースロー空港の下調べとトラブル会話集を購入。またロスバゲ防止の為に荷物は機内持込みにするなど一応の自衛策はとる予定です。

そういえばBAは搭乗予定24時間前からネットでオンラインチェックインができるとか。便利ですな。搭乗24時間前・・・会社で仕事中ですね。会社のPCからチェックインすることを心に決めました。
ものすごく行きたいポルトガル。ひなびた味のある素敵な風景に身を置きたい。夏休みに行くことを七割方決めたものの、見知らぬ国での完全フリー一人旅はやや不安&非常に不経済。趣味が合いそうな友達は予定が合わず不可。思いあまってmixiやらのツアーメイト募集掲示板を見てみたがポルのヤツはマイナーらしく一人もいやしない。現地ではバラバラに行動することも出来て、たまに夕飯を一緒に食べれてホテルのルームシェア出来る人いないかしら。
台湾旅行記? 小龍包
小龍包の有名店・鼎泰豊
台湾について最初に行ったお店。

汁がたっぷりで非常に美味しい。店内も簡素だが清潔。
値段は1つ(10個入り)170元。550円くらいなのでまあまあ安い。
この店では他に野菜入り餃子、スープ、ちまき、エビ入り炒飯などを食べた。炒飯もとても美味しかった。

写真はもちろん小龍包
せっかくクリスマスなので早起きして横浜に遊びに行った。びっくりするほど早起きで、9時代には横浜についてしまった。天気が良いのはいいけれど、人が多すぎる。何もかもが混んでいる。並び過ぎだ。遊園地も混んでいた。観覧車は二時間くらい待つようだったので、乗らなかった。ジェットコースターに乗った。景色が綺麗だった。あの遊園地に行くといつも足立さんを思い出す。夕飯は安めのところで豪華にした。大食い王のように注文をした。混雑と早起きがたたってか、かなりぐったりきてしまった。帰宅後定期を落としていることに気付き、さらにがっくり。

5月2日

2004年5月2日 旅行
千葉二日目。

昨日のムカデ騒動で朝寝坊をする。

朝ご飯を食べ、鴨川シーワールドへ。
オポは海に生きる哺乳類に似ている。特に海の殺し屋に。「殺し屋ですのよ」と蕎麦が言う・・・わけがない。寒さに震えながらシャチやアシカやいるかのショーを見た後、帰路に着く。

千葉のくせにめちゃくちゃ遠い。4時間くらいかかって新宿に着く。

5月1日

2004年5月1日 旅行
千葉の御宿へ。

メンバーはオポ、牟田、キョロ(イチゴ味)と私の4人。テニスなどを勤しみ、宿へ。

民宿初体験。カップルにはおすすめ出来ない。
宿付近の田舎さはやってられない。おかげでお菓子ばかりを食べつづけるはめに。田舎はやるしかないとは牟田祖母の発言。
夜中にムカデ現る。ムカデ初遭遇にみんなショックを受ける。田舎特有のいい加減さで処理されまんじりとせず夜を明かす。

東欧見聞録 7

2004年3月13日 旅行
【ハンガリー】

朝ご飯をたんまり食べて出発。オレンジを一つ失敬する。準備をしているとメイドが何度もやってくる。普通外出時に鍵を預けないと掃除に来ないだろう。謎。

空港で写真をとっていたらハンガリー人スタッフに叱られる。よく見たら撮影禁止だった。プロペラ機に移動するバス来ず。飛行機の出発時間を過ぎても来ない。何とかくるもだいぶ遅刻。ウィーンにて飛行機を待たせるはめになる。飛行機を待たせているにも関わらずザッハトルテを買いに免税店へ。直径10センチていどで14ユーロ。約2000円。高いしかも不味い。失敗。二度と海外のケーキは信用しない。飛行機内でみんなと話すうち眠くなる。結構すぐに成田に着く。いつものことだが帰りは早いなあ。

成田着は日付変更線を越えたので日付的には14日です。

東欧見聞録 6

2004年3月12日 旅行
【ハンガリー】
晴れ

今日が東欧で過ごす最後の日となる。

午前中市内観光。
出発時にセーフティボックスの鍵を失くすというアクシデント発生。皆の現金とパスポートが入っている。責任重大。焦りまくる。しかし見つからず。英雄広場に案内されるも気が気でない。皆の慰めにより徐々に復活。漁夫の砦から見る街並みを楽しむ余裕も出てきた。

午後自由行動。
モスクワなんたらという街にてガチャピンと出会う。道を教えてくれたのに顔真似をされまくる。気の毒。スーパーにて木のオモチャを買う。私の一押しはレンガの家を自分で組み立てるおもちゃ。やや値が張るも迷わず購入。無駄遣いこそが人間らしさというものではないでしょうか。地下鉄にてホテルに帰る。部屋に帰るとセーフティボックスの鍵が机の上に。サンキュウメイド!
向かいの部屋の裸体マッスルイタリアン・フレンチ・アメリカンらに囲まれてバイキング形式の夕食。異常な光景に藍興奮。最後の夜にもかかわらず皆疲れのためあっさり就寝。

東欧見聞録 5

2004年3月11日 旅行
【スロバキア→ハンガリー】
曇りのち晴れ

スロバキアにもう用は無い。早々に立ち去る。さようなら北朝鮮欧バージョン。

ハンガリー入国。
ドナウベント地方訪れる。要塞にてマイデジカメがクラッシュ。パニックに陥るが蕎麦博士により救われる。
その後ハンガリーの高級住宅地センテンドレへ。カプチーノを頂く。美味。イタリア人観光客にCHINAと間違われる。
夕方ブダペスト着。ガイドさんオススメの店へ。道に迷いやや危険地域に足を踏み入れるも特に問題なし。適当にオーダーすると似た味の料理が大量に運ばれてくる。相当頑張ったが皆で半分ほどしか食せず。食後夜景を見に行く。延々ドナウ川縁を散歩する。あこがれの鎖橋を見る。西洋的だが東洋的。豪華だが貧しそうな街並み。不思議な街、今回は良い意味で。

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