3月29日

2004年3月29日 日常
ゼミ追いコン。
ゼミのメンバーは基本的に苦手だが、上下の学年と少数の同期によってなかなか楽しく過ごせた。

お花と色紙をもらう。色紙が凝っていて嬉しかった。仲の良い後輩からのメッセージに軽く感動。しかし色紙の内容の殆どが「毒舌」と「やさくメガネトリオ」関連の話ばかりであった。所詮それだけの人間である。
最後にどうしても話が噛み合わない後輩サイキックとお茶をした。サイキックとは新庄に似た男の子である。少し噛み合った、気がする。

遅くなったので友人宅に泊まる。なんだか異様なテンションになってしまい、今思い出すと恥ずかしい。

3月28日

2004年3月28日 日常
友人が久々に泊まりに来る。
高校生の頃はよくみんな家に来ていたが最近はご無沙汰だった。

家に来る前にユミキョと牟田と千鳥ヶ淵へ。お花見。桜はとても綺麗だったがとにかく人だらけ。私は人ごみが嫌い。屋台で食べ物を買い、食す。屋台の食べ物は不味いのに美味しい。不思議だ。
ついでに靖国神社に寄る。生まれて初めて靖国神社に足を踏み入れた。大砲についた弾痕がなまなましかった。付近には戦争マニアらしき兵士コスプレ?のおじさんがたくさんいた。

地元の駅で埋蔵と合流。埋蔵から爆弾発言。お嫁に行くらしい。自分達の仲間からついに。形容しがたい気持ちになる。

カラオケで埋蔵祝福ソングを披露し、餃子屋さんへ。お腹がはちきれるほど食べる。

家に戻り、夜中まで皆で話し込む。昔からの友達はやっぱり気兼ねなく話せる。たまに鬱陶しいけど大切にしよう。

3月27日

2004年3月27日 日常
31日から研修が始まるので、スーツ用の靴を買いに渋谷に。
日曜効果か春休み効果か。やたらに人が多い。煩わしいので1軒目の店で即決。ミッドウェストのカフェでサンドイッチを食す。かなりのボリューム。美味。やはり日本の食べ物は美味しい。

地元に戻り漫喫へ。選択ミス。パンを題材にした謎の漫画を読む。ノリがミスター味っ子。しろは劇画調のモノに夢中。

その後最近出来た韓国料理の店に行きチゲを食す。なかなか。

ファミレスで時間を潰す。しろを泣かせてしまう。どうして自分はこうなんだろう。無神経のご都合主義。自分本位の屑。カス。腐った蜜柑。

3月26日

2004年3月26日 日常
意志が弱い。なんて意志が弱い。1度決めたことを1日たりとも守れない。数時間も守れない。最後の倫理観まで捨てるわけにはいかない。辛いがここは初志貫徹。今ならまだ引き返せる。これ以上人に迷惑をかけるわけにはいかない。このままでは駄目。絶対的ご都合主義の廃止。この決定もご都合主義によるものか。

3月25日

2004年3月25日 日常
かつてからの友人らと鼠王国へ。

陸の方である。私は陸の方が好きだ。息が出来るから。
初期メンバーは7人。バンビズム、ユミキョ、オッポッサムラ、牟田、スッチ―鼠、おしゃれCAT、それに私。さらに6時以降券を利用しアベノセイメイ、ファルコンら追加。
春休みのせいかとても混んでいる。1番背が低く子供っぽい私が代表して高校生を名乗りチケットを購入。なんなくクリア。少し気を良くする。
初期メンバーは早速売店にてかぶりものを購入。バンビズムとユミキョ、わたくしはダンボ耳を購入。オポッサムラ、スチネズはミニー、おしゃれCATはもちろんおしゃれCATを購入。牟田は7年前に購入したミッキー耳手付きマフラーを持参。いい大人7人が全員被り物をして歩いている姿はやや異常。しかしここは夢の国。なんら気にすることはない。
ユミキョ、しゃれ猫、バンビズムは夢の国でも下世話な話。並んでいる最中もかなりうるさい。外見的にも大学から知り合っていたら絶対に友達になっていない気がする。が、なぜかずっと一緒にいる。
ホーンテッドマンション、ピーターパン、カリブの海賊、ビッグサンダ―マウンテン、スプラッシュマウンテン、スペースマウンテンに乗る。混雑していたのであまり乗れなかったがとても楽しかった。
今日はスチネズの誕生日なのでカードとプレゼント、ケーキを贈る。喜んでくれていた。良かった。

帰り道に事件発生。予想だにしない。全く予兆がない。だってむしろ他を推していた。それになんと言っても豚。性質の悪いドッキリではなかろうか。あまりにも突然。動揺。そして自己嫌悪。

遅くなったので友人宅に泊めてもらうことにする。ここにもよくお世話になった。ここでもいろいろあったが、きっとお世話になるのも今日が最後になるだろう。本人に言うとややこしいのでこの場を借りよう。どうもありがとう。

3月24日

2004年3月24日 日常
信じられない事件が起こる。
ショックで時間と空間をワープ。
気がつくと17時。日記を書いていましたとさ。ちゃんちゃん。

3月23日

2004年3月23日 日常
卒業して初めて同窓会が行われた。
霞ヶ関の立派なビル。
中学当時の主管の先生方が退官するということで開かれた様子。とりあえず退官祝いということなのでカジュアルな服装は避ける。場所も場所だし。高校の時の主管も来ていた。私は中学の時の主管は大嫌いだから菓雅輪先生とモグタンと話したかった。が時間がなかった。無念。同級生とはよく会うし、特に懐かしさはなかった。それだけに先生と話せなかったことが余計悔やまれる。菓雅輪先生にもう一度「ねこちゃんみたいね」と言ってもらいたかった。モグタンとの微妙な距離感を感じたかった。ああ。

友人達のお茶の誘いを断ってオフ会@馬場へ。
赤鬼、野菜、毬らと噂の290なる店に行く。野菜「謙虚はいいけど卑屈は駄目」赤鬼「遺志革ちゃん♪」毬「…出ましょう」。場所を変えて昭和風へ。同じような会話が繰り返された後またもや野菜はあっさりと帰宅。奴はいつだってそう。しかし計画は成功したようだ。おめでとうと言いたい。

山手線に乗るつもりがなぜか西武線に乗せられる。
そしていつのまにか毬と共に鬼が島へ。赤鬼は執拗。やたらに固執。なぜゆえに。何がそこまで。エスカレートと堂堂巡り。美味しくない美味しい。かませ犬の主張。いや私こそ。一切の妥協を許さない理不尽かつ非論理的要求。そしてとにかく執拗。さすが鬼。流石鬼。「最悪の接触」筒井康隆を彷彿と。あまり感情的にならない綿素材もさすがに堪忍袋の緒がそろそろ。赤鬼に対し禁酒勧告。命からがら明け方おいとま。

接触方法

2004年3月22日 日常
本日は恵まれない容姿の人が人と接する場合のベストな方法を模索したいと思います。

私が思うにですね、1番辛いのはですね、恵まれないという自覚の無い方がですね、妙に女っぷりをアピールしちゃうことなんですね。これはもう筆舌に尽くしがたく。とにかく見づらい。

私は自分の容姿をですね自覚しているつもりなんです。まあとことん理解すると自殺に至るといけませんからその辺はほどほどにね。とにかく自覚はしているんです。

こうした場合非常に困るんですね。自意識過剰なので対応に困るんです。私は醜さを自覚してないことが大嫌いなので。なるべくそうはなりたくないと。でもそれをアピールするとやたら卑屈になってしまうんですよね。実際卑屈なんで別に構わないんですが、卑屈さを出すと周りの人を困らせるでしょう。慰めるしかないしね。鬱陶しいし。人を困らせるなんてね、持たざるものにはそんなことする権利無いわけですよ。迷惑をかけない。最低限のマナーですよね。特に初対面の人なんかね、びっくりしちゃうでしょう。そりゃそうです。私だって初対面の人がやたらと卑屈だったらびっくりしちゃいます。そんなことないよー。って否定しか出来ませんしね。

さて、卑屈さを出さないようにして無自覚でないことを相手方にわかってもらうにはどうしたら良いのでしょうか。

…ここまで書いて虚しくなったので終了。確かにお前は醜いが誰もお前なんて気にしてないんだよ、という天の声がしたからだ。またもや自意識過剰。全てが自意識過剰。過剰書き。まあいつか気が向いたら続きを書こう。

3月22日

2004年3月22日 日常
大学に卒業証明書を取りに行く。
見慣れた風景。未だに卒業した実感が湧かない。4月に間違ってここに来てしまいそうだ。

太刀と会う。
太刀が可愛くて。しかし太刀により接触禁止令が発令される。綿素材は男性脳である。だから無意識のうちにあからさまであり、それ故に知らぬ間に人を傷つけていたりするらしい。深く反省。

明日は同窓会。
先日の謝恩会でだいたいの人には会ったがやはり楽しみ。しかし着ていくものが無い。この問題は4月1日以降にも共通する。乞食服卒業を強制される時期だ。私は枯葉色が大好きなんだ。ボロ布が大好きなんだ。だから綿素材を名乗っているんだ。とにかく乞食服をずっと身に纏っていたいんだよ私は。

本日夜に「ご都合主義の廃止」「接触禁止令の遵守」を決定。もはや一切の例外は認められない。はずであったが涙とあっては止む無し。臨機応変。これ肝心。

3月21日

2004年3月21日 日常
寝て起きたら一日が終わっていた。
モラトリアム終了まであと10日をきった。

惰眠をむさぼったせいか眠れない。
明日から早起きを決意。

赤鬼にばれた。加湿癖=過失癖であると。

卒業式

2004年3月20日 日常
今日は卒業式。

10年間慣れ親しんだこの学校ともお別れだ。人生の約半分をこの学校にお世話になった。うまく言えないけれど本当に大切な場所である。たぶん今後ここまで思い入れの強い場所はもう出来ない。

式にて院歌を歌う。この歌を歌うのも最後かと思うととても寂しい。不意にぐっとくるが、周りが全くしんみりしていないので涙は自粛。

式後、卒業証書をもらう。偶然ゼミのK氏と一緒にもらうことに。袴を踏み、壇上で2度転ぶ。摘む教授が笑う。ゼミ生や映研仲間と共に写真を撮ったりして過ごす。

夕方、後輩オススメの喫茶店にてお茶を飲んだ後、謝恩会会場兼本日宿泊地へ向かう。

6時頃から謝恩会が始まる。ドレスが似合わないので嫌で嫌で仕方が無かったが、出て良かった。久しぶりにたくさんの同級生に会うことが出来たからだ。皆とてもきれいになっていた。和田アキコと由美かおるがいた。ちなみに私と会う頃には野菜は悪野菜に変身していた。

謝恩会終了後映研でとった部屋に行く。
悪野菜は既に移動済み。この部屋でも悪野菜ぶりを爆発させていた。みなで飲んでいるとホテル側から抗議。追い出される。野菜ここぞとばかりに帰る。出たがり娘はそれより前に帰ってしまったのだが。もう一度部屋に戻り、牟田さんから借りた人生ゲームをする。お金を賭けたので皆非常に意地汚い。人数が多いのでペアを組むことになり、私は深夜さんと。私たち夫婦はビリ。貧乏な一生だが愛があった…と思う。
楽しかったがさすがに疲れたので明け方頃帰宅。

実感が湧かないが、今日で本当にこの学校とお別れ。
今まで本当にありがとう。

3月19日

2004年3月19日 日常
赤鬼宅から帰る。
何が何だかわからないうちに夕方になる。

明日は卒業式。

3月18日

2004年3月18日 日常
卒業アルバムを回収した後、野菜と部室で少し話す。

夕方から馬場にて飲み。
メンバーは神戸牛、コヨーテ、わかめ、毬、赤鬼、そして私。牛と小狼に会うのは久しぶり。わかめに至っては3年ぶり位に話した。なぜ突然こんな奇妙なメンツで飲んだかと言うと卒業式が目前だからだ。卒業。この2文字の持つ力は絶大である。
まずは昭和風味の店にて飲む。結構な量を飲み食いしたがとても安く済んだ。場所を変えて飲み直す。神戸牛によるセクハラに遭う。

牛の誘いと赤鬼の誘い、迷った末に赤鬼の話に一口乗る。赤鬼の棲家はとても快適。家主を差し置いて布団を占領。夜中に赤鬼外出。屋外でヨーグルトを食べているところを職質される。明け方おいとまする。

プロフィール

2004年3月18日 日常
新井嬢(21)と約6時間の討論の末以下の結論が出た。

自分は都合の良い。非倫理的。自分に甘く他人に厳しい。つまり駄目。
新井嬢の気遣いにより大体丸。ただし嬢の感覚一般的でない、そのうえ気遣い。薄い。うすっぺら。現実正解においての立ち位置、植物プランクトン。しかし光合成出来ない。最下層。その中で中途半端。某ヒット曲はまやかし。人類を堕落に導く。新井嬢は私を理論家と評するがまともな理論が展開できた試しなし。理論派を自負するには絶対的に脳味噌が足りていない。

仕様も無い話に長々と付き合ってくれた新井嬢に感謝。

3月17日

2004年3月17日 日常
渋谷に謝恩会用の小物を見に行く。

買い物途中に野菜に名前を呼ばれる。何故だなぜだ名瀬だ。動揺恐怖戦慄。野菜の情報収集能力を甘くみていた。ああ粘着質な友人。日記を始めたことすら誰にも話してはいけなかったのだ。タブー。たくさんのタブー。星新一。こんな日記を見られるなんて。くだらなくてつまらない。妙に長い。もっとちゃんとしておけば良かったと後悔するがどうせつまらないものしか書けない。恥ずかしくて野菜にもう会えない。この自意識過剰ぶりがまた鬱陶しい。

心が弱り、部室飲みを辞退させて頂く。

3月16日

2004年3月16日 日常
同行した6人娘に写真を配るため、東欧旅行の写真をCD-Rに。
指導員に殆ど全てを任せる。指導員意外と面倒見良し。ただ写真を見られたのが悔やまれる。私はパソコンのことなどまるで分からない。分かろうとも思わない。いや分かりたいのだがどうせ分からないから分かろうとしないと言ってみる。
終了後ぐだぐだぐだぐだ過ごす。お腹フェチという変な性癖を持つ人に出会う。さらに二度の奇蹟に遭遇。新井嬢と酢臭日本食が呼ぶ奇蹟。乃南アサは断られる。星イズムの徹底を図ろう。無理だけど馬鹿だから。

3月15日

2004年3月15日 日常
起きてパソコンを開くとカウンターの数字が増えている。誰が見ているのだろう。奴の仕業だろうか。

昼地元をぶらぶらした後、内定者飲み@横浜に行く。
結構たくさんの人と話せたので楽しかった。幹事さんは本当に出来た人で素晴らしい。内定者の女の子も男の子も良い人が多い。本気で女の子は可愛いひとばかりだ。可愛いゆえに性格に屈託が無くてよい人たちだ。こんな中じゃ余計…。自分が悲しくなる。もごもご喋っていると「自虐的だね」と言われる。精一杯隠していたのに。初めて会った人に数十分で見抜かれる。やばい。細かく言うと自虐的ではなく、事実なんです。自虐じゃない。実際そうなんです。不細工で根暗。最低。そんな中であえて自分と話してくれる内定者の男の子ありがとう。みなさん出来た人ですよホント。

調子に乗って飲みすぎた。早めの二日酔いに襲われ3時半頃目が覚める。口から水が飛び出すという経験をはじめてする。人間ポンプ。頭が痛くて眠れないので日記を書く。油断すると今もポンプと化しそうな自分を騙し騙し日記を書く。明日は配達人。

3月6日

2004年3月6日 日常
今日は珍しく家にいる。

明日から出発する東欧旅行のための準備をする。向こうは平均気温3℃ととても寒いらしい。必然的に荷物も多くなる。先々週に続きまたスーツケースのお世話になる。パッキングは面倒くさい。ハッキングは出来ない。

赤鬼氏のBBSをチェック。サマーヴェジタブル=トト村が閉鎖をしないと宣言しているのを見た。彼は私を許したのか。心が広い。私の日課がまた一つ消えるところであった。あぶない危ない。

今日はこれから東欧の情報収集に務めることとす。
毬を見習い東欧の生活をメモしてこようと思う。

3月5日

2004年3月5日 日常
映研追いコンは続く。
酔っていたのであまり覚えていないが、砂糖先生が今後の映研のあり方について熱弁をふるっていたのが印象的だ。話したいだけ話して寝てしまった。実に彼らしい。さらに支払い時に彼の所持金が千円と少ししかないことが発覚。皆失笑。ますます彼らしい。(その後寝ぼけながら「砂糖先生へ」と書かれた給料袋を差し出し事なきを得た。)

5時ごろ解散。
自分の家まで戻るのが面倒になり、友人宅へお邪魔する。朝っぱらから文字通りお邪魔。カスのくせに図々しいんだよお前は。本当に申し訳ない。結局だらだらと夕方まで居座った。ご面倒かけました。

3月4日

2004年3月4日 日常
今日は映画研究部の追いコン。
映研のみんなと会うのは本当に久しぶりだ。

追いコンの場所はなかなか素敵なお店だった。
後輩からお花とプレゼントをもらう。
意外と涙もろいので泣いてしまうのではないかと思ったが、自分が「追われる」という実感がイマイチ湧かず涙を晒さずに済んだ。本当にあっという間だった・・・と感無量。それだけ楽しかったということだろう。

二次会が始まったのは午前0時を回っていた。
翌日に続く。

< 8 9 10 11 12 13 14 15